発行日:平成21年4月5日
発行所:行橋市大橋2丁目
浄 蓮 寺
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追悼は、亡き方の生前をしのぶことですが、しのぶだけでは十分とはいえません。仏教ではお経を読むことによって遺された者に功徳があることが望まれます。
お経の功徳がずっと(永代に)続くために、毎年浄蓮寺では「永代総追悼法要」が行われます。お経の功徳にあうことが、生きている者のつとめです。どなたも必ずご縁に遇っていただきたく、ご案内申し上げます。
日 時 4月24日(金)昼席〜26日(日)昼席
※朝席は9時30分、昼席は1時からです。
法 話 田中 誠證師 (本願寺布教使・大分満福寺住職)

※次回、宗祖降誕会は、梯 實圓勧学をお迎えして、6月5日・6日に勤修します。梯 實圓勧学は、本願寺における最高の高僧です。
例年の通り総会を開き、皆様と共にしんらん聖人のみ跡をお慕い申し上げたいと思います。多数の方々の御参加をお待ちしております。
  日  4月29日(水曜・昭和の日)
  時  午前10時〜正午まで
  場所 浄蓮寺本堂
  参加費:無料
  ※昼食の準備をしております。
「四十九日が三月にまたがったら、いかんのでしょう?」という質問をよく受けます。これは、「始終苦が身につく」という語呂合わせからきたもので全くの迷信だといえます。ご法事は、なるべく本来の日時に近い日を選んで行うのが良いでしょう。ほかにも、「四十九日の間、死んだ人は成仏できずにさまようのでしょう?」という質問があります。浄土真宗では、人は臨終と同時に仏(諸仏)になると考えるので、中陰期間は、故人に対する追慕、故人を縁として「生と死」について考え、謹慎し求法の生活をする期間であるとします。
人生は巨大迷路です。スタートしたらゴールまで迷いを離れることができません。ただ、初めから迷いの中にいるせいか、迷いの中にいる自覚すらないのも当然です。
「生」の反対は「死」だと思っていますが、仏教では「生死一如」といって、別々のものではなく、一つのものと見ていきます。生まれたらそこに死が兼ね具っているというわけです。
巨大迷路の中にいることを知らされれば、ゴールは「迷いからの解放」と喜べますが、迷いを迷いと知らない人は、ゴールを「死」と呼び、おびえなければなりません。迷いを脱出する方法は、仏の力(他力)意外にありません。
法名とは「釋○○」という三文字をいいます。本来は出家した(髪を剃った)人に付けられた名前です。したがって、亡くなってからではなく、生前中にいただくのが正式です。
現在は、「おかみそり(帰敬式)」という儀式を京都の本願寺で受けると法名がいただけます。ところが、このたび浄蓮寺にて「おかみそり」が行われることになりました。本願寺ご門主様のご長男である新門様をお迎えします。
日時 11月6日 午前9時〜
費用 1万3千円
申込みはお寺までお問い合わせ下さい。
めったにない御縁ですので、どなた様もぜひ受式されることをおすすめいたします。
なお、院号「○○院」の説明については後日にいたします。

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