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村上 慈顕・村上のぶや |
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私は現在、七歳・五歳・二歳の三人の父親です。「子育て」ということばは、育てる側から発せられるものですが、「お育て」ということばは、育てられる側からのものだといえます。子どもに恵まれてから気づいたのですが、親も子どもによって育てられているんだ、という実感でした。考えてみると、子どもによって親は「お育て」をいただいているのだともいえます。
共同執筆を快く引き受けてくださった村上慈顕君は、私よりも九歳年下ですが、様々な面で私が影響を受け、尊敬する人物です。そういう意味では、彼からも絶えず「お育て」を受けているといえるでしょう。とにかく、彼の文章センスに惹かれ、私の方から話を持ちかけたことから、今度の出版が実現しました。もともと、この書のタイトルを「お育て」とするつもりでしたが、よほど浄土真宗の教えを知る人以外、聞き慣れない言葉であろうということから、副題にすることとしました。タイトルを「風はどこから」としたのは、単なるセンチメンタリズムではありません。副題の「お育て」を象徴的に表現したつもりなのです。
どこから吹いてくるかは分からないけれど、いつの間にか花の香りや暖かさを運んで春の到来を知らせてくれる風。「お育て」というのは、実は、いつの間にか、気づいてみると、ああそうだったのか、という世界なのです。仏法に出遇うと、年を重ねるごとに、自分が育てられていすr世界があることに、ああそうだったかと気づかされ、驚かされるばかりなのです。 |
村上のぶや
≪本書「おわりに」により≫ |
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