村上 信哉
教区報「北豊」 平成21年7月発行第88号掲載
質問少女
 長女がまだ5歳になったばかりの頃、彼女は質問少女でした。たとえば「お空の上には何があるの?」といった具合です。「お空の上には宇宙があるよ」「宇宙ってなに?」「宇宙は明かりのない、まっくらな世界よ」
 すると不思議そうに空を見上げて「でもきれいな青色よ」「これは空気の色。毎日すったりはいたりする空気は透明に見えるけど、太陽の光があたると、本当はあんなきれいな青色なんよ。でもね、お空の上には空気のない世界があって、そこは光のないまっくらな世界なんよ」。
その日の夕方、娘はこう言いました。「おとうさん、宇宙がだんだん降りてきたね!」と。
 また、あるときは「なんでこの骨(ろっ骨)があるの?」「心臓とか肺とか大事なものがあるから、それを守るためだよ」「へぇ〜、じゃあ、なんでお腹のところはないの?」「お腹の赤ちゃんが大きくなれるように」。
日課
 当山では必ずお晨朝とお夕事を本堂と内仏で行います。朝は定時ですが、お夕事は時間を定めずに夕食前に勤めます。このお夕事の時間帯には子ども向けの楽しい番組が放映されており、ちょっと智恵のついてきた娘は「このテレビが終わってから〜」とか「ちょっと今日はきつい〜」などと言う時期がありました。
お参りが「嫌なこと」になってはいけないので、決して怒らずに「わかった。今日はお休みしよう。そのかわりご飯もお休みね」と誘導作戦に出ます。今では、すっかり率先してお参りし、ジャンケンで勝った者が調声人を勤めることになっています。さて、このように毎朝毎晩お参りをすると、子どもは仏事やお経の言葉に興味を持ち始めます。
浄土ってな〜に?
ある時、私は娘に「お浄土に往きたい?」と尋ねました。「いきたいなぁ〜。だってお父さんにまたあいたいもん」という返事が返ってきました。
浄土にて再び遇える世界を「倶会一処」と経典には示されています。難しいことは分からずとも、子どもなりに教えを受けとっていたことになります。ただし、先に往くのは私のようですが・・・。
また、ある時、娘が「お浄土って高いところにあるんでしょ?」と尋ねてきました。地獄に対するイメージからそう思ったのかもしれませんが、経典には「西方」としか書かれていません。そこで、私は「へぇ〜、高い所にあるならどうやって往くの?」と逆に尋ねました。しばらく考えていましたが、やがて「そうやねぇ〜、羽がないから自分では往けんねぇ〜。やっぱりアミダ様に連れていってもらわなやろう」。
努力しても羽ははえてきません。私の力、我がはからいを超えた世界を他力(本願力)といいます。本願力に遇うとむなしく過ごす人生はなくなるそうです。