村上 信哉
「御堂さん」 平成21年3月発行掲載
お父さんと呼ばれて
 「名前」というのは不思議なものだと思います。「親」という名前に対してこんな議論がありました。
ある勉強会で「親だったら子どもに必ずこうする」といった発言に対して、「それはおかしい。現実にそうでない親もたくさんいる。親だったらこうする、というのではなく、子どもに対してこのようにするものを親と名づけるのではないか」という議論がさく裂していました。なるほど、と思いました。
 二番目の娘が二歳を過ぎたころの話です。なかなか言葉が出ないことを家族で心配していましたら、ある日、一つの言葉を口にしました。それが「おとうさん」という言葉でした。もちろん、赤ちゃん言葉ですから「おとーしゃん」というような発音ですが、確かに私を指さしての言葉でした。家族の中でも、ことさら父親である私が喜んだのは言うまでもありません。それからというもの、行った先々で自慢話のようにこのことを話しておりました。
 ちょうどそのころ、私は保育園の園長をしていました。その関係で、児童心理学や育児、教育といったさまざまな情報が入ってくる環境にいましたので、驚くべき事実を知ることとなったのです。それは、子どもが初めて口にする言葉は、それまでに2万回から3万回聞いた言葉をしゃべるのだということでした。
ナモアミダブツは親の名前
 当時の私は、保育園の施設長になったばかりの上、お寺の仕事も結構多忙を極めておりましたので、育児のほとんどを連れ合いにまかせ、その子に言葉をかけることもまれなほどでした。それにも関わらず、その子どもが父親の名を口にしたということは、私の代わりに「お父さん」という言葉をその子に聞かせ続けていてくれた人がいたということです。それは家族以外の何ものでもありません。
「お父さんはまだ一生懸命仕事をしてくれているんだよ」、「お父さんは今日も帰りが遅いね」、「お父さんは・・・」
 自慢話をしていた私は恥ずかしくなりました。脳が発達し、歯が生え、声帯や舌の機能が調った子どもは、それまでに聞き続けた言葉を口にしていたのでした。きっと、私も幼いころ、親の名前を何度も何度も聞かせてもらったことでしょう。そして、大人になった私は、今度は子どもから発せられる言葉によって「お父さん」にならせてもらったのでした。
 「ナモアミダブツ」は親の名であると言われますが、はじめに親ありきではなく、私が子とならねば、親子として成立しません。
それにもまして「ナモアミダブツ」を何度も何度も聞かせてくださった尊い方々を偲ばすにはおられません。