村上 信哉
「京仲組だより」 平成12年10月号掲載
 星野富弘さんという方がおられます。不慮の事故で身体の自由を奪われながら、口に筆をくわえて、素晴らしい絵と詩を作られています。絶望の中で「生きる」ことを教えてくれたのは、お母さんと聖書の言葉だったようです。
 そのお母さんについて、美しいお花の絵とともに二篇の詩があります。

  淡い花は
  母の色をしている
  弱さと悲しみが
  混り合った
  温かな
  母の色をしている

  母の手は
  菊の花に似ている
  固く握りしめ
  それでいてやわらかな
  母の手は
  菊の花ににている

 子供にとって母親というのは、特別な存在のようです。私の子供を見ておりましても、生まれた時から何時間も、母親の胸に抱かれて、お乳をもらっていることを考えると、つくづくと母親の素晴らしさを感じるものです。親鸞聖人も、幼くして母親とは死に別れましたが、仏さまのはたらきを「母親のようだ」とおっしゃっておられます。
 星野富弘さんは、このお母さんに対する思いを、次のような詩に綴っておられます。

  神様がたった一度だけ
  この腕を動かして下さるとしたら
  母の肩をたたかせてもらおう
  風に揺れる
  ぺんぺん草の実をみていたら
  そんな日が
  本当に来るような気がした

 私は動く手を持ちながら、どれほど親の肩をたたいたであろうか、そんなことを考えさせられます。恩に報いることを、善導大師は、「身を粉にし骨を砕きて、仏恩の由来を報謝して、本心に称すべし」と言われました。親鸞聖人と親しくされた聖覚法印は、恩師法然上人のご法事にあたり、「身を粉にしても之を報ずべし、身を摧きて之を謝すべし」と示されました。そして、親鸞聖人は「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師衆知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし」と教えて下さっています。
 アメリカのテロでは、生活を便利にするはずの飛行機が、ビルに当たって武器となりました。如来は、人を殴りかねない私の手を合わさせ、災いの元である口からお念仏を称えさせてくださいました。まもなく、如来の教えを私に届けて下さった親鸞聖人の御正忌報恩講の季節を迎えます。