村上 信哉
「京仲組だより」平成13年11月号掲載
親の願い
 人間の大人の脳は重さが平均1300グラムだそうです。生まれた時は400グラムで生後7ヶ月後には300グラム増えて700グラムになるそうです。2年8ヶ月ではさらに300グラム増えて1000グラムになるそうです。「三つ子の魂百まで」といいますが、単なる言い伝えではないように思えます。
 私の娘は4ヶ月になりますが、家族のものはそれぞれ「お父さんですよ」「お母さんですよ」等と脳の発達盛んな赤ちゃんに自分の名乗りをあげています。南無阿弥陀仏の六字の乳に育てられ、南無阿弥陀仏の名乗りをいただいた私は、煩悩にまなこをさえぎられて仏さまのお姿を拝むことはできませんが、仏さまはいつも「ナモアミダブツ」となって私の口からおでましくださいます。平生からお育てに遇うことが大切なことです。
 我が娘の第一声が父母爺婆いずれを呼ぶかは今から楽しみですが、仏さまもきっと「ああ、この弥陀の名を呼んでくれている。苦労したかいがあったなあ」と喜んでくださっていることでしょう。

子の安らぎ
 母親に抱かれた赤子は、それがいずれの場所であっても心は安定しているものです。すべてを任せきって疑わない姿です。世間には「信仰に熱心になりすぎると害がある」という人がいます。しかし、仏教では絶対まちがいないとかたく思いこむことも疑いであるとします。蓮如上人は、
 「心得たと思うは心得ぬなり。心得ぬと思うはこころえたるなり。少しも心得たると思うことはあるまじきことなり」とおっしゃっておられます。
これでまちがいなし思う心は立派な信心のようにみえますが、実は人のいうことを聞き入れない慢心にほかならないからです。親の胸に抱かれ、お乳を飲んでいる赤子の安らぎこそ、仏さまから授かった信心の姿といえましょう。

安心の人生
 お釈迦さまは生まれてすぐに七歩あゆみ、天と地を指して「天上天下 唯我独尊」といわれたことは有名です。この文に続いて「三界は皆苦しみなり、我まさに之を安んずべし」(三界皆苦 我当安之)という大切な言葉が説かれています。「安んず」とは安らかにする、苦しみから救うという意味があります。親鸞聖人はこのことを「如来、世に興出したふゆゑは、ただ弥陀の本願海を説かんとなり」(如来所以興出世 唯説弥陀本願海)と示されました。そして、釈尊や七高僧、聖徳太子等すべてが自分のためにこの世に出られたと喜ばれたのでした。私のためにくださった「安心せよ ひきうけた」という「ナモアミダブツ」のお名乗りを喜ばせていただくばかりです。
 もうすぐ御正忌報恩講の季節です。私のために厳修されます御法要に、お礼の手を合わせたいものです。