村上 信哉
「本願寺新報」平成15年6月号掲載
看取るということ
 昨年、私の大好きだった実家の祖母が、九十歳でお浄土へ参りました。生前、祖母はよく、自分の人生を家族に話してくれました。少女時代のこと、戦争のこと、夫のこと、先だった五人の子どものことなど。
「あんたたちのような孫に恵まれて、こんな幸せなことがあるもんか」と喜ぶ笑顔を思い出すと、思わず目頭が熱くなります。
 私の里帰りをいつも心待ちにしてくれていた祖母の思いが、どれだけ私の心の支えとなったかわかりません。
 祖母は、わずか一ヵ月間の入院の後、病院で臨終の姿を私に見せてくれました。わずかひと月でしたが、病院では大変な苦しみようでした。痛みに襲われ、無い体力をふりしぼって吐き気と闘っていました。日頃元気だった分、この姿を誰にも見せたがらず、病院はいつも家族しかいない状態でした。
 臨終は、たまたま子どもや孫、数人の親族が揃った中でのことでした。苦しそうに全身を使って肩で息をするようになり、やがて顎(あご)で息をする下顎(かがく)呼吸がはじまると、まもなく臨終です。目からは涙を流し、呼吸をするのがやっとで、「苦しい」とか「きつい」ということすら言えなくなります。体力の限界にある者にとって、日常のおしゃべりや日々の呼吸が、いかに当たり前のものではないかを知らされるのでした。

祖母の蒔いたタネ
 晩年の祖母は、入院する直前まで、広い境内の草取りから畑での野菜作りや花作りを、すべて一人で引き受けてきました。坊守として、ご門徒に支えられながらの一生でしたので、往生の知らせを皆さんへ伝えるため、葬儀を少し先に延ばしました。
 私の入寺先から里の寺までは、車で一時間ほどですが、毎日法務を終えてから、準備のために里の寺へ通いました。毎晩夕食をよばれてから帰るのですが、食卓には祖母の作っていた、たくさんのお野菜が美味(おい)しそうに盛られています。本人がいなくなった後も、蒔(ま)いた種は花となり実となって、私のいのちをつないでくれるのです。
「ありがたいね、おばあちゃんのお野菜、ありがたいね」
そう言いながら、皆涙を流しているのです。

引き継ぐことの意味
 祖母はまた、私たちに大切な教えを残してくれました。入院中のある日、たった二人きりの娘である、私の母と叔母だけが病院にいる時のことでした。ふと、「私はまだ聞き足りん。あんたたち、聞き続けなさいよ」と、ぽつりと言ったそうです。
 「聞き続けなさい」とは、浄土真宗のみ教えを聞き続けなさい、ということです。祖母は、お説教のたびに最前列で聴聞していました。それだけに、後にも先にもない、たったその一言は、家族にご法義話の土壌を与えてくれました。

 「阿弥陀さまのご恩は、一生涯聞き続けても、これで十分ということはない、ということではないか」というのが、母の味わいでした。いずれにせよ、打てば響く鐘のように、祖母を想えば、「聞く」ことを思い出させていただけます。「聞く」ことさえ忘れている私であることに気付かせていただけます。
 幼い頃から、祖母の聴聞する姿に育てられ、姿亡き後は、私を生かすことばを残してくれた祖母でした。
 祖母の入院中、実は畑の野菜がひとりでに育ったわけではありません。見舞いにも行けないほどの、兄の懸命な努力によって、美しい野菜は育てられたのでした。そして、今年も家族によって、草が取られ、畑にはたくさんのお野菜やお花が整然と輝いています。
 残るということは、引き継がれるということです。そういえば、今輝く私のいのちも、仏縁により引き継がせていただいたものでしょう。
 祖母が残してくれたもの、それは、私が生きるために必要なほとけさまのみ教えと、この私そのものでした。まもなく、懐かしくて恋しい祖母の一周忌を迎えます。